はじめまして、当ブログを運営しているイズムです。
簡単な私の自己紹介をさせて頂きます。
経歴
茨城県出身(高校卒業まで)
大阪にある「酒の専門学校」を卒業
広島の大型酒販店で修業
21歳で実家の酒屋に戻る
30歳で独立(初年度3千万→10年で14億)
46歳でこれまでの経験を「イズム理論」にまとめる
ブログとコンサルに転身中(現在)
経歴はざっとこんな感じです。
正直言って実家に戻るまでは遊んでいました(^_^;)
私は4人兄弟の一番下なのですが、父が地元では比較的大きく商売をしていたので、何となく将来は実家に入って兄たちと一緒に商売をするんだろうな・・・というお気楽な感じでした。そのせいか実家に戻るまでの大阪、広島の時代はほとんど遊んでいたようなものです。
ただし、実家に戻ってからはガムシャラに仕事をしました。365日休み無しは当りまえ、時にはお店に泊まる事もあるほど商売にのめり込みました。
・なにより楽しくて充実していた
・新しい仕事を覚えて成長を実感できた
・自分で仕入れた商品が売れる快感
・目標を決めてクリアした時の達成感
とにかく仕事を覚えていくのが楽しくて夢中になっていました。
・お客様に喜んでいただくためには?
・スタッフさんが働きやすい環境にするには?
・売れる商品を見つけるには?
・良い商品やサービスをお客様へ伝えるためには?
・魅力的なPOPを作るためには?
・仕事の効率をよくするためには?
などなど仕組みを作るのに没頭しました。
それにつれて私の呼ばれ方や役職も変化しました(笑)
イズム君→イズムさん→マネージャー→店長→部長→常務
30歳で独立を決意
しかし30歳の時に社長の兄と意見が合わなくなり独立を決意して会社を作りました。当時自分で管理していた支店を買い取るための資金集めと、絶対に無理だと言われた「酒類卸免許」を取得するのに2年を費やしましたがなんとか独立を果たしました。
この時、資金集めで行ったのがコンサルタントです。自分には10年間ガムシャラに仕事をして身についたノウハウがあったのと、そのノウハウが違う場所でも通用するのか試してみたいという好奇心もありました。
結果はバカ売れです!コンサル先の社長さんから言われて一番嬉しかったのは「君のおかげでワインの売上げが3倍になたよ!」です。これで自信が付き自分の会社でも店舗や部門を増やしていきました。
東日本大震災
そこで起きたのが2011年3月11日の「東日本大震災」です。
しかも福島の「第一原子力発電所」にも近かったので、地震の被害に加えて放射能問題で一時避難も余儀なくされたのです。
不幸中の幸いは震災が起きた日が、半月後にオープン予定だった新店舗の商品を陳列する前日でした。(海の目の前に出店していたお店は津波で壊滅状態だったため再建を諦めました。)
4月になんとか再開し、新店舗もオープンしたのも束の間・・・みなさん福島には4.11という大地震があったはご存じですか?あの3.11のちょうど1ヵ月に地域によっては最初の地震より大きかったのです。そうです、運悪くその地域でした。
3.11では商品破損の被害を免れた新店舗も今回はダメでした。本店と合わせると被害額は2000万円以上です。もちろん誰も補償なんてしてくれません。
ここで心が折れそうになりましたが、そんな訳にはいきません。
スタッフさんの生活がかかっているのですから、避難をしたり営業できない日も続きましたが、お給料はそれまで通り払いました。
そんな時に地元で一番集客のあるショッピングセンターから出店のオファーがありました。1階の正面入り口にある一等地です。地元の酒販店があった場所ですが、震災を機に退店をされたのです。
4月時点での当社はこんな感じです。
本店→実家から買い取ったお店で商品の破損は一番多かったですが、建物は無事だったので営業再開
海の前にあった支店→津波で壊滅しそのまま閉店
新店→4.11で商品は破損したが、建物は無事だったので営業再開
地元の飲食店様への配送とECも順次再開
一時は原発問題でゴーストタウン化した街です。これから商売が成り立つのかも分からない状況で新たな出店なんて出来る訳がない・・・でもここまで受け入れてくれた地元のみなさんの為にも出店したい・・・何度も何度も熱心に勧誘に来て下さるディベロッパーの社長さんとも交渉を重ねて、最後には破格の条件で出店をさせて頂くことにしました。
そこからはまさに破竹の勢いです。独立した際の年商は3千万円でしたが、目標に上げた年商は10億円でした。しかし気が付いた時には14億円まで伸ばすことが出来たのです。
このブログでは
なぜ短期間でそこまで売り上げを伸ばすことができたのか?
なぜお客様に支持して頂けたのか?
売れる商品の見つけ方や売り方とは?
などのノウハウを余すことなく公開していこうと思います。
どうかお付き合いください。